ひとりごと

【ひとりごと】手根管症候群の手術で入院記録。

まさか、手術するなんて…

2018年の夏頃だったでしょうか。
右手の親指は痺れて治らない…整形外科にいくと、「手根管症候群」と診断された事があります。
「あまり使いすぎないようにしてね。」と言われる程度、メチコバールと言う薬を処方され飲むとなんとなく痺れが穏やかになった。
ただ、そこまで生活に支障もないし、問題ないので軽く痺れていても気にせず生活していました。
2021年1月も終わりのころ、掃除機をかけていたら急に痺れて違和感が半端ない。
痺れて箸やペンもつのがなんかしんどい…
これはなんかおかしい…そう思い、2月になり病院へ。
病院に行き症状を説明したりすると、「検査しましょう」と。
検査と言っても中規模の総合病院だし、コロナ禍でもあるからか、後日にあれこれ検査をした。
産まれて初めてMRIから、手に機械をつけて電気流すような?検査もしたり、もちろん血液検査や尿検査もやりました。
検査結果を聞きに行くと、「思ったより症状がよくない、手術だね。」
まさか、手術だなんて思ってもみなかったのと、今年2021年から職場が本拠地に変わったばかりもあり、2月だったのですが「3月4月あたりでもいいですかね?」と聞くと「いやいや、早い方がいい。」と思ったよりひどいのをそこで実感した。
残念ながら、聞き手の右手が痺れてデスクワーカーの私、パソコンのマウスも左手で行っていたくらいひどかったからそうだよね。
と、自分で言い聞かせた。
さらに、検査をしたら左手も今は感じないかもしれないけど、正常とは言い切れないかな…あと、右手のひじ下も少し気になるな。とも言われてしまう。
右手のひじ下は、手根管症候群とは関係ないけど数字的にはいい数字とは言えないらしい。よくわからないけど自覚症状ないし、もし何か変化があったら別の検査しようとも言われた。
手術と言えば、お恥ずかしいのですが実は痔の手術をした事がある私。
しかも、日帰り手術のクリニックでしたからか、麻酔科専門の先生じゃなかったからか、麻酔がまともに効かず…激痛でクリニック内が響き渡るほどギャーギャー悲鳴をあげてしまったと言う、トラウマの持ち主。
基本的に、手根管症候群は局所麻酔で行うと聞き、担当医に痔の手術の時のトラウマを正直に話しました。激痛でトラウマになり、手術は不安で仕方ないと。

私にピッタリの主治医で安心して手術を受けることに。

「不安を全部取り除いて手術しよう。そもそも、日帰りでは行わないし、全身麻酔を麻酔科の先生と話してするようにするから心配しないで、不安な気持ちなくして行いましょう。」
正直、第一印象は愛想のいい雰囲気な見た目じゃなかった先生(ごめんなさい。)でしたが、会話を重ねるととても優しく、不安な気持ちなくして手術をしようと言ってくれたのが、本当にありがたかったです。
手術前の血液検査だの行い、入院準備。
木曜に入院して金曜に手術、経過は土曜まで見せてね~とのこと。
入院準備の冊子をもらい、持ち物など機内持ち込みサイズのリモワにつめこんで入院当日。

入院は20代前半に急性気管支炎で入院したっきり、かなりご無沙汰だった。
整形外科病棟だったんだけど、同室の方は車椅子のおばあちゃんばかり。
ロッカーの使い方を聞き、入院の不安をわきながらもコートを脱いだら看護師さんに「りえんさん、いいにおいしますね!」と、「柔軟剤のにおいなんですが…」緊張を消すようなコミュニケーションしてくれる。
看護師さんってすごいね。
病院のパジャマに着替えてテレビを見て時間をつぶす。
iPhoneで一年前の写真がでてきた。
一年前はソウルにひとりでひっそりいってたんだ…
今年は病院か…でも前向きに乗り切ろう!
写真なぜか、手術日の日付モザイクかけてた(笑)かける必要ないのに…もどすの面倒なのでそのままで(笑)入院当日は夜ご飯でるし、夜まで水分とれる!楽勝だわ。

大の苦手な点滴も今日はないと言われ、もう最高じゃないの。
担当医の先生がやってきた。「今日はゆっくり眠ってね。大丈夫、難しい手術じゃないから!」と安心させてくれる。
その後、麻酔科の先生がやってきた。
「以前、痔の手術でトラウマできちゃったんだって?」と聞かれ
「手術中激痛でギャーギャー騒いでしまいました…いじられてるのがもうわかって…」と答えると…
「麻酔は痛みわからないはずなんだけどね…辛かったね。今回は痛み感じないで終わるから大丈夫。」
なんと、心強いのでしょう。すごく安心しました。
入院当日の夕食。
聞き手が不自由なので、一口サイズに全部カットされているのです。
もう何日も前から、左手でフォークを使って食事をしていたのですが、病院でフォークの貸し出しはしてないと言われスプーンなら貸し出しできるとの事で、スプーン借りて食べました。

私は自他共に認める薄味ちゃん。
なので、全然しっかり味付け感じて美味しくいただきました。ペロリです。内科じゃないので食事制限なかったのもあるからかと思いますが、カーテン越しのお婆ちゃんは「味がない!薄い!」とご立腹でした。
食事も終わり、友達とLINEしたりテレビ見たりであっと言う間の消灯時間。
22時の消灯で部屋の電気を消されたらすぐに夢の中へ…眠れない…そういうタイプではないので、朝病室の電気がつく強制起床までノンストップで眠れました。最高!

入院2日目、手術日当日。

朝、点滴をすることに…私は血管が細くて奥にあり動くらしくよく打ちにくいらしく看護師さん泣かせなのです。
かかりつけの病院なので、その情報は共有されているようですが今回の担当の看護師さん、「実はまだ新人なんです。4月から看護師で…でも、無理せずやりますね。最悪は主治医の先生がするよって言ってくれてるんで!」と。
この看護師さん可愛いお顔の方で、いつも元気で入院中気にかけてくれてすごく好きな看護師さんでした。
「りえさん、大丈夫!決めるから!」と明るくいいながら、一発で点滴命中してくれました!
手術室まで付き添ってくれ、担当医が点滴つけてる私を見て「点滴心配してたけどよかったね~!」と。
手術室はクラシックが流れていて、あ~ドラマ見たいだわ。と思いながらベットに横になりました。
酸素マスク?のようなものが鼻口おおわれて、麻酔科の先生がお薬入れますよ~「ちょっと冷たくてピリピリするよ~」と言われ、本当に冷たくピリピリした感じがきたので、「なんか冷たいです!ピリピリきた!」と答えた後、肩を叩かれ「終わったよ!」でマスクをはずされました。目の前に主治医の先生がいて、「わかる~?気分悪くない?」と言われたので、「〇〇先生もう終わったの?鼻水が…」で鼻水たらして、看護師さんが拭いてくれ、無事に終わったのがわかりました。
右手を見ると手がぐるぐる包帯まかれていました。
そのまま、ストレチャーのままHCUに行きました。術後だからか、自動で血圧とかはかられていました。
そこにはテレビがないから、まあ時間がたつのが遅い。
しかも、全然眠くない…壁にかけられていた時計をみてばかり。
カーテン越しに、高齢のお婆さんが独り言ずっと言ってたので、それをずっと聞いてました。
お婆さんになぜか、「りえこさん、りえこさんいるんでしょ?でてらっしゃい!」なんて言われてビックリしたのも思い出。(お婆さんのひとりごとです。)
麻酔後も気分悪いとかまったくなかったので、もとの一般病棟に戻れ夕食から食べれることに。
ですが、左手に点滴、右手は包帯ぐるぐるなので食事の写真など撮影できません。
圧迫用のボールみたいな形のものがまかれていたのでまあ食べにくいですが、食い意地はってたので左手でスプーンで頑張って食べました。
1日ぶりの食事だったですしね。
お手洗いも、パンツを下げるのはできても上手にあげれずにヘルパーさんにお手伝いしてもらいました。
タイからヘルパーの研修できてる若い方だったのですが、とてもやさしくてありがたかった。
手術のテンションがたかかったのか、消灯と同時に眠れず少し起きていた。
同室の婆さんで、見回りの看護師さんに「眠れない、眠れない」と訴えているのが聞こえた。
別の婆さんも「なんだか眠れないわ。」と、看護師さんはゆっくり目をつぶってみてね。と。
私の方がそのまま寝てしまった。

入院3日目。

入院3日目の朝ご飯。
記録を残そうと写真頑張りましたが、ブレてしまいました。
ご飯に牛乳て、小学生時代の給食を思わず思い出してしまいました…白米に牛乳はあわない!でもなんか栄養バランス考えてくれてると思い、牛乳苦手なので冷たいうちに牛乳一気飲み。
お茶で口をリセットし、朝食も元気いっぱいペロリ。スプーンが最初から置かれるようになりました。

病院食、地味に好きなので快適すぎてたまりません。
今日血液検査して、よければ退院言われるかな?と言う感じ。
昼はエビフライがメイン。病院でエビフライとかでるんだ!と思いながら衣だけじゃなくちゃんとエビの味がして嬉しかった。

主治医がやってきた。
「調子どうかな~。ぐるぐるの包帯小さくしましょう。」で小さくなる。
私は「調子は悪くないけどなんせ手が不自由だし、昨日手術で今日帰るより、もし可能ならばもう1泊したいです。」と話すと、「明日は日曜で僕はこないから、月曜までゆっくりしていったらいいよ。」と。ありがたいお言葉。
夜は和風な煮物系、フルーツ好きなのでフルーツでると嬉しい。

なぜか、この謎の写真がでてきた。そして、母が手術終わっても連絡してこないからとまさかの病院に電話。
連絡したくても、手がふさがっててできなかったんだよ…
命にかかわる手術じゃないし、万が一おかしかったら病院から連絡いくんだから連絡ないのは順調な証拠だよと説得。入院前に話してたのに(笑)
友達や職場からも大丈夫か?と連絡くるが、左手点滴がじゃまでうまくうてず。既読つけたから生きてます…心配してくれてありがとう感謝。

入院4日目。

また、牛乳に白米というあたおかメニューがやってきた。
長期入院してる人は、週ごとにメニュー選べるシステムの病院なのですが、私のような短期入院患者はそんなシステムない。
白米にかけた、「鯛味噌」甘めの味噌なんだけど、気管支炎で入院した別の病院でもでたけど、鯛味噌はメジャーなのでしょうか。お味は私はうーんでしたが…

今日は日曜で主治医が休みなので、食べて薬飲んで点滴するだけ。
あとはテレビ見て過ごすだけ、もう最高。
昼間、同室の婆さんたちはいびきかいて寝てる。そりゃ、夜眠れるわけないよね…昼と夜逆転しちゃってる方ばかり。
コロナ禍で面会禁止、病室もカーテンでしきり必要以上にカーテン開けない言われるから、患者同士のコミュニケーションなければそりゃ寝てしまうんだろうね。
さて、昼ごはん。
まさかの蕎麦!さすがに蕎麦にスプーンは意味がない。
上手に食べれないので、どんぶりに口つけてすすりました。
自分でも食い意地はってるな…と笑いがこみあげてきます。

調子に乗ってのんびり入院したいなんて言ってしまったが、鏡を見たら髪の毛が油分で長州小力になってしまっていた。
私の毛は細くて猫毛タイプだからか、もうすぐしっとりしちゃうんです。
はぁ、調子にのった罰だ…と思いながら髪の毛をまとめてごまかしてました…
入院生活最後の夜です。
普通のご飯なので、まったく苦痛にならない食生活でした。
他にも、食事制限ない病棟には売店のカート販売サービスがあるので、ちょっと菓子パンとか買って食べてる人もいたりしました。
私はダイエットになると思い、間食はしませんでしたが白米が舞食200グラムもあったのでそりゃ痩せないわと思ってましたが。

入院5日目、退院日。

朝のバイタルに、手術日に点滴をしてくれた看護師さんにあえました。
「点滴あの1回さしてくれただけで、もちました!ありがとうございます!」とお礼を言うと。
「大丈夫だったかな?って気になってたからよかった!手術も無事に終わって今日退院ですね。おめでとうございます。」と。
可愛いお顔立ちだけど、すごく元気をくれる看護師さんでした。
頭が長洲小力じゃなかったら、もっと入院しててもいいくらいでしたが、そうもいきません。
最後の病院食。また鯛味噌!(笑)

退院前に主治医も様子見に来てくれ、傷口を見ると「おお、いい調子いい調子!」と笑顔で言ってくれました。
病院によっては日帰り手術もおこなっているような、手術なのに図々しく4泊5日の入院生活をさせてくれた主治医に感謝。
その後、抜糸もして痺れもとれました。
ただ、すぐに右手を使うことが怖かったので、あまり右手を使わなかったら先生に「傷がくっついたんだからどんどん使わないと!」と言われてしまうと言う…
痺れはないけれども、重たいものをもつのが厳しくなってしまいました。
それは仕方ない。
片手でもつより両手で持つようにしたり、少しずつ工夫して生活しています。
あえて病院名は控えますが、患者の不安を取り除きながら優しく対応してくれる病院、先生方、看護師さん、ヘルパーさんで感謝の気持ちでいっぱいです。